主体108(2019) 11月 13日

咸興市に立てられた周恩来総理の銅像

一九七九年春。

主席は、周恩来総理の未亡人鄧潁超女史が朝鮮訪問を希望しているという報告を受けてたいそう喜び、直ちに同意し、主席の名で招請すると知らせるよう指示した。

その後、接待計画や沿道歓迎などと関連して数度にわたり詳細な指示を与え、わが国に周恩来総理の銅像を立てようと言った。

その年は、周恩来総理の逝去三周年に当たっていたが、中国にもまだ銅像はなかった。

主席は国事に多忙を極めながらも、ずっと銅像の建立に心を砕いた。

銅像の場所をどこに定め、その姿はどのようにすべきか……。

考えに考えた主席は、ついに決心した。

周恩来総理は一九五八年に咸興(ハムフン)市を訪れ、興南(フンナム)肥料工場の労働者たちを前に演説をしている、だから、そのときの演説姿をかたどって、興南肥料工場の構内に銅像を立てるのがよかろうと。

総書記は主席の意を体して、周恩来総理の演説中の写真を銅像の制作者たちに送り、その後もたびたび銅像の草案と原型を検討し、台座の高さについてもこまごまと指導した。

主席と総書記の細心の指導を得て出来上がった銅像と記念碑は五月末、現地に立てられた。

主席は五月三一日、訪朝中の鄧潁超女史を咸興に案内し、銅像と記念碑の除幕式に出席した。

偉大な主席にお会いできたことだけでも無上の光栄だと感謝していた女史は、思いがけず隣国の工業都市に立てられた夫の銅像を見て、あふれる涙を抑えることができなかった。

「偉大な主席同志、銅像は実によく出来ています。こんなに立派な銅像を立ててくださって、心から感謝いたします」

同年夏、朝鮮を訪れた中国京劇団の団長は、主席との会見の席上、周恩来同志の銅像を立てていただき、九億七〇〇〇万の中国人民はとても感激している、と謝意を表した。

主席はこう答えた。

「周恩来同志の業績からしても、また朝中両国人民間の友好・団結に尽くした功績からしても、われわれが銅像を立てるのは当然なことです。わたしは今も常に、周恩来同志を追想しています」

 

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