主体108(2019) 12月 13日

抗日武装闘争の日々に

日本帝国主義の100万大軍と戦わなければならなかった苦難に満ちた抗日武装闘争の時期、朝鮮人民革命軍の隊員たちは自力で兵器をつくり、または、敵の兵器を奪って自分を武装し、敵を打ち破った。

「延吉爆弾」

当時、遊撃区に設けられた兵器廠では、鉱山の労働者や地下工作員たちが送る火薬をもって爆裂弾を製造し、弾薬も再生していた。

しかし、それは常に危険を伴っていて、日帝の厳しい監視から鉱山の地下組織が露出する恐れがあった。そのため、兵器廠では民家にある硝酸カリウムを利用して自力で火薬を製造した。火薬の製造法はすべての兵器廠に導入され、兵器生産では転換がもたらされた。

火薬がつくれるようになると、多量の爆裂弾が製作された。ブリキ缶を利用して導火線をつける方法で製作された爆裂弾は手榴弾より威力があった。後に「延吉爆弾」と呼ばれたこの爆弾が炸裂する所では日本軍がばたばたと倒れた。

一挺の拳銃

チュチェ22(1933)年9月のある日、三人の朝鮮人民革命軍隊員は船に乗って豆満江を渡り、龍堂派出所を襲った。敵の武器を奪って帰路についていた彼らは、付近の「国境守備隊」と警察隊の追撃を受けるようになった。 

彼らが乗った船が川を半分ぐらいに渡ったとき、敵の凶弾が船の周囲に集中された。彼らはやむをえず船を捨てて川を泳いで渡った。責任者のオ・イルパ同志はろ獲した武器を担いで泳ぎ、パク・セホン同志は泳げないもう一人の隊員を助けていた。  

パク・セホン同志が川岸に辿り着こうとした時、敵弾に当たった。かろうじて水面に浮き上がった彼は、背負っていた隊員を川端に押し上げた。 

再び敵の凶弾がふり掛かった。彼は渾身の力を振り絞って、手にしていた拳銃を隊員たちに投げながら叫んだ。

「同志たち!、この銃を受け取ってくれ!」

この最後の言葉とともに彼の姿は水の中に消えた。

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