主体107(2018) 11月 20日

朝対委が解放前に慶興郡で強行された日本軍性奴隷犯罪の真相を暴露

【平壌8月14日発朝鮮中央通信】最近、朝鮮日本軍性奴隷・強制連行被害者問題対策委員会(朝対委)は、解放前に朝鮮で生まれて住んでいて敗北と共に日本に帰国したナカムラ・スミエ(日本人92歳)さんが咸鏡北道慶興郡慶興面(当時)で日本軍「慰安所」を直接目撃したという証言を入手した。

朝対委は、これに基づいて昨年から羅先市先鋒地区で現地調査を行い、同所で強行された日本軍の性奴隷犯罪を実証したことに基づいて14日、その真相を暴く調査報告書を発表した。

調査報告書は、解放前、慶興郡の日本軍駐屯状況について明らかにした。

1920年代当時、人口が6000人余りにすぎなかった小さな山奥郡である慶興郡は中国、ロシアの両国と国境を接していることから国境警備の要衝として重視された。

1937年、羅南第19師団第76連隊国境守備隊は「国境守備隊編制改正要綱」によって新しく改編されたし、慶興郡にその本部を置いて各所に小部隊を配置した。

このような現実は、慶興郡に日本軍「慰安所」が早くから出現し得る十分な条件となった。

報告書は、羅先市先鋒地区の元汀洞で現地調査を行う過程に、ここに設置された日本軍「慰安所」の存在を確認したことについて指摘した。

1930年代の中葉または後半期に建てられたと見られる「慰安所」の建物は、高い垣を巡らした一階建ての煉瓦造りの家で村の中心の小高い所にあった。

「慰安所」には17歳~20歳程度の南方の娘らが連れてこられていたし、彼女らはほとんど監禁状態にあった。

ナカムラさんは、同所の女性に対する性病検査のために日本軍軍医がよく訪れていたことについても証言した。

現地調査結果、ナカムラさんが記憶している建物と現地住民が話している建物が同じ「慰安所」であることが実証された。

報告書によると、元汀洞「慰安所」は当時、慶興郡に駐屯していた羅南第19師団所属慶興国境守備隊と憲兵隊の専用「慰安所」に建てられて、中国東北地方で活動する抗日遊撃隊に対する「討伐」に動員された日本軍、そして大陸に進出するために同所を通過する日本軍に奉仕した軍専用の「慰安所」であった。

元汀洞の「慰安所」が軍専用であったことは、同所の住民の構成を見ても分かる。

同所の大多数は経済的土台が微弱な小作農であり、そのほかに憲兵隊と守備隊が駐屯していただけである。

一日に三食の飯もろくに食べられない農民を相手に、商業的売春を目的とする遊郭が設置されたとはとうてい考えられないのである。

「慰安所」は外部と徹底的に遮断されていたし、女性らはほとんど監禁状態にあった。

「慰安所」に巡らした高い垣も、日本の軍人が出入りするのを民間人が見られないようにするためであったし、同所の女性らが南方のなまりを維持することができたのも結局、日本の軍人だけを相手にして「慰安所」に閉じ込められていたからである。

元汀洞「慰安所」を日本軍専用「慰安所」に見られる最も有力な根拠は、日本軍軍医の定期的な「検診」を受けたことである。

このほかにも、羅南第19師団所属の複数の部隊が駐屯していた咸鏡北道清津市をはじめ、各地ですでに日本軍専用「慰安所」が発見され、被害者が出た事実から元汀洞「慰安所」も羅南第19師団所属の日本軍専用「慰安所」の一つであったと言える。

報告書は、日本の反動層が過去の犯罪を闇に永遠に葬ろうとあらゆる卑劣な策動を弄しているが、朝鮮人民は日本の過去清算に関する責任を最後まで追及し、朝鮮民族が日本によって受けたむごい不幸と苦痛、羞恥と被害に対する代価を必ず百倍、千倍に払わせるであろうと強調した。

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